れじぇんず1 見てないよ!見てないから!!


初めての出産
結婚して、割とすぐにご懐妊。満員電車で通勤し、重たいMT(昔だからね)持ってのし歩いた
職場も妊娠9ヶ月に入った所で退職した。(今を思うとちょっともったいなかった?)
あぁ、もうすぐ私たちの所に、かわいい赤ちゃんがやってくるのね♪などとノーテンキに
過ごしてその日を待っておりましたとさ。

 超音波検査の際、しっかり股間が写ってしまった(お医者は”企業秘密だ!”と言い張ったが)
のと、”あなたは、男の子?女の子?男の子なら、2回キックして”って聞いたら、
しっかりすかさず、2回キックが返ってきたので、生まれてくるのは男の子だと分かっていた。
 予定日を2日過ぎた日の未明、私は生理痛で目がさめかけた。”う〜ん、ヤダなぁ・・・”
!!んな訳ないじゃん!あたしゃ、妊娠中じゃないの!枕もとの目覚まし時計を見つめ
痛みのくる間隔を測ってみる。ありり?もう8分間隔だ!隣できもちよ〜く眠る夫を起した。
午前4時だった。初孫の誕生の時に関わりたいと”始まったら、絶対病院まで送るからね!!”と
言ってくれていた義父に電話するにはちと時間が早い。それに、プレ教室では”初産の方は
陣痛の間隔が5分になってから来てくださいね”と言われていたのだ。
トーストとミルク紅茶の朝ごはんは、カウントダウン付きだ。夫が”あと1分でくるから
口に入れるのやめー”・・・あだだだだ〜。てな具合^-^;
6時過ぎ、義父に電話しきてもらった。あんなに楽しみにしていた義母はどうしても
その日は仕事が休めないと、後ろ髪引かれながら来るのをやめたのだそうだ。
こんなに期待されて生まれてくるぼーや、アンタは幸せ者だよ。よよよ
7時過ぎ、道路は通勤ラッシュに入っていて、思うように進めない。だんだん間隔が狭くなってくる
やっとこ病院に到着〜

病院に着くと、その日は、出産ラッシュの日だった。陣痛室(陣痛が来て、出産までの時間を
過ごすための部屋)は片付けるヒマもないほどで、使えないとの事で、外来の普通の診察台に
上がるように 初老の助産婦さんに言われた。”初めての出産でしたね。(陣痛の)間隔は4分?じゃ、
子宮口がどの位開いているか診ますね〜”
とりあえずのはずだったので、おパンツは下ろして、両足にかかった状態だ。
”!!タイヘン!もう(子宮口が)全開(に開いている)わ!!”
えっ???なに???だから、なんだちゅ〜の???
”すぐに分娩室に行きますからね!ええ!大丈夫ですよ!大丈夫!”
”はい、じゃ、パンツを・・・”
”いいのっ!そんなのはいいから!大丈夫ですよ!私が支えて行きますからね!ダンナさーん!!”
”あの・・・パンツをどうにかすれば、自分で歩いて行きますから・・・”
”平気ですよっ!大丈夫っ!”
いやぁ〜〜〜;全然聞いてない〜〜〜;助産婦さんと夫に肩を掛けられ、引きづられるように
分娩室までの廊下を連れて行かれる;分娩室の前のベンチには、義父がびっくりした表情で見ていた;

分娩室は今や戦場!前の出産から20分もたっていないので、まだ産婦さんが経過を観察されていた
”しかたがないわ!納品されたばっかりの新兵器を使いましょう!”
”し・新兵器ぃ〜??”私はおニューの腰から下の部分と上の部分が分離するという新兵器に
寝かされた。何やら、測定機器を着けられる。立会い出産だったので、付き添った夫は
”このプローブ、逆電流が流れそうだな・・・”とか、きょろきょろしてるしぃ
”はい、我慢して、我慢してぇ〜・・・は〜い、いきんでいいですよ〜”(プレ教室では
”すぐにいきんではいけません。つらいですよ〜”なんて言っていたのになぁ??)
”はい!破水します”にゅるん!”はぇっ???”そうです、分娩台に上がってわずか30分も
たたないうちに生まれてしまったのです。ぎりぎりセーフだったんだね;

ところが、生まれた赤ん坊は泣かないで、きょろっきょろしている。先生にぱんぱんっとたたかれ
”ふんげ〜”ととって着けたように泣いた・・・(思えば、彼はその後もずっとそんな感じだ;)

超安産だったため、すぐにでも次の子を産めるような気さえした。
病室に移されて、落ち着いた頃、義父がうれしそうに来てくれた。
”まみさん、ご苦労さんだったね〜♪”じいじはすでににっこにこだ
隣の小さなベッドで眠る長男を眺めてうれしそう。そのじいじに私は恐る恐る聞いた。
”あの〜、さっきの廊下で・・・”ここまで言ったところで、じいじはぶんぶんと首を振りながら
”見てないよ!何にも見てないから!!”耳が赤い・・・^o^;
あぁ〜;やっぱり、驚いて見ていたのね〜;足首にパンツをぶら下げて、両側を抱えられて
引きずられて行く姿を・・・私、歩けるって言ったのに・・・昭和一桁の義父にえれぇ姿をさらしてしまった・・・

その晩、余裕こいて、テレビを見ていたら、突然の寒気に襲われ、猛烈なめまいがした。
やっとの事で、ナースコールのボタンを押し、トイレに行こうと2,3歩歩いた所で倒れた。
高熱で遠のく意識の中で、周りのみんなが心配するのに、無神経にだすだす歩き回り、
神戸まで出張したり、終電近くまで残業していた私に罰が当たったんだ・・・と思った。


次に目が覚めたのは、次の日の昼近く、点滴が挿され。高熱のあまり、体中が痛かった。
楽な出産なんてなかったんだ・・・

原因不明の肝炎でした。約2年間、だるさ&通院を強いられました。
妊娠期間中の無神経の罰としては長すぎたんじゃないかしらん;

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狐茶屋