れじぇんず9 回転
さよならC-700
いつも写真を撮りに行く川へは、自転車で片道20分。
コーヒー豆屋の軒先のツバメの兄弟もそろそろ巣立つ頃。
昼食も食べさせたし、外は快晴、汗ばむ頃。どんな鳥に会えるだろう?
休みの日に川に行くときは、大抵夫が一緒にくるのだが、その日は眠くて昼寝だそう
それならそれで、気楽でいい(別に気を遣っている訳ではないけれど、待たせちゃ
悪いかな〜、とか、退屈そうだな〜位には思う)
いつものように、まみちゃりくんにまたがって、出発だ!
帰りがけには、安売りの牛乳を忘れず買わなくちゃ・・・なんて考えながら
こぎだした。いつもと違っていたことは、5月の新緑がきれいだったら
すぐに撮れるようにと、カメラ(OLYMPUS CMEDIA C-700UZ)を首に掛けて出たこと位だろうか
いつもは、リュックに入れて、ぶつかったりしないようにしているのに
”この位の違い”を後でこんなに後悔する事になろうとは・・・
いつもの川の支流までは、下り坂。5月29日の風は清清しく気持ちよかった。
川のすぐ手前の小学校の脇の坂道は、特に急だけど、乗りなれた坂だから・・・
この時までそう思っていた。
ふと、石でも踏んだのか、ちょっと気をとられ、ついブレーキを絞った。
その時、いつもより右手に力が入りすぎた、と思った途端!前輪を支点に
つんのめった!頭の片隅で白黒の走馬灯がちらっと見えた・・・
次の瞬間には左肩から落ちた・・・左ひじを強打した。
周りに人がいないか、巻き込んでいないかを見回すが、幸い誰もいない。
ふと見ると首にはストラップしかない!ストラップにはメモリカードカバーだけが付いている
はっと、地面を見回す。少し脇に異様にレンズが斜めになっている本体が・・・
涙がぼろぼろ出た。そして、肩と肘が猛烈に痛いのにやっと気が付いた。
”・・・痛い・・・”誰に向かった訳でもない言葉が口から出た。
しばらく(自分では長く感じたのだけど、一瞬だったのかもしれない・・・)カメラを
抱きしめて”ごめん、ごめんね”とつぶやきながら、歩道の隅で泣いた。
しゃがみこんだまま、それ以上、なにも考えられなかった。
そうしているうちにも、痛みががんがんし、我に返って夫に電話した。
”ふがぁ?なに?どしたん?”
”ごめん、こけちゃった;痛くて動けない。カメラ壊しちゃったよぉ”
5分くらい、ぼぉっと肘から血がぼたぼた出るのを見ながら座っていた。
とぉちゃんが、薬の入った箱とティッシュを抱えて迎えに来てくれた。
マキロンで傷を洗い流してもらう間も、痛みと、カメラにかわいそうな事をしてしまった
罪悪感でぼんやりしていた。妙に辺りは清清しくて、陽光がきらきらしていた・・・
その夜は、更に罪悪感が押し寄せるように肩と肘が痛み眠れなかった・・・
1日置いて、月曜の朝一番に整形外科に行って、骨には異常がないことが分かった。
けど、打撲で腫れた肘は動かすと痛みが走った。優しい医院の事務長さんの心遣いが
ものすごく暖かく感じた・・・でも、カメラはもう直る事はないだろう・・・
帰りがけ、こけた場所を通ると、血の跡が3,4箇所残っていた。
思えば、こける前の日の夕方、テレコンバーターを外したとき、本体のレンズが
ぽろりと外れたんだ。あれは、もしかしたら、この事を予感していたC-700の
お別れの言葉だったのかもしれない・・・
時々、こんな風にレンズが外れたりするので、”そろそろ買い替え時じゃないのか?”と
夫には言われていたのだけれど、まさか、こんな分かれ方をするなんて・・・
スキーでこけて、尻の下に敷いてしまいオーバーホールしたことも、
何万枚もシャッターを切らせてくれ、鳥と写真の魅力を教えてくれた思い出多きこの子と
こんな分かれ方をする事になるなんて・・・風呂の中で何度も何度も謝りながら泣いた。
まだまだ付き合ってもらうつもりだったのに・・・
その頃にはD-70を買うつもりでお金を貯め始めていたのだけれど、買った後だって
サブ機として使うつもりだったのに・・・
サブに落ちるのをよしとしなかったのかな・・・
いまだに怖くて、右(前輪)のブレーキを強く握る事はできない。
左肘は、ふと肘をついたときに、鋭い痛みが走ることがある。
新しいカメラを手に入れた今も、C-700を捨てる気持ちになれず、机の引き出しにある
引き出しを開けたとき、以前の写真を見たとき、胸が痛い・・・
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狐茶屋